先輩社員インタビュー

亀田 修二
農産部バイヤー

亀田 修二

スーパーに並ぶ商品を生産者やメーカーから買い付けてくる仕事

売り出した野菜が評判になり、バイヤーへの道に繋がった

21歳までの3年間、大阪の専門学校に通いました。電気系を専攻していたけど、実は苦手分野で、勉強はあまりしませんでした(笑)。
友人とよく遊びに行っていました。今も大阪にいる友人がいて、たまに連絡を取ったりします。

家業である旅館を手伝ったりしていました。その後、今の会社に入りました。旅館業の経験があったので、スーパーの商品に関してはそこそこ知っていました。入社半年で店長になり、3店舗を経験してからバイヤーになりました。

倉吉市で店長をしていたとき、自ら野菜の仕入れを行なっていました。あるとき『これは売れるぞ』と思った商品を売り出したら本当に評判になりました。
その商品は鳥取市でも売れました。その様子を会社の上層部が評価してくれて『亀田をバイヤーにしよう』となったんじゃないかなと思います。

「良いものを安く」提供したい

今は野菜に加えて、果物の仕入れもしています。もともと、野菜の仕入れはそんなに好きじゃなかったんですけどね(笑)仕事の中でのお客さんとの付き合いが好きでした。

大雨・台風がくると、仕入れの調整が難しい。そんな難しさと格闘しながら『品質が良いものをより安く』を考えながら仕事をしています。

やはり『良いものを安く』提供できたときが一番楽しいです。「お客さん・担当者・会社」の3つ全てが喜ぶ『三方良し』の形を目指しています。

私が提案した商品を気に入っていただき、購入に繋がった時は嬉しいです。例えばスイカの場合、中の空洞を確かめて『これ美味しいよ』と提案する。実際に『美味しかった』と言ってもらえて、次の商品を提案させてもらえる。このような連鎖が生まれることが面白いです。

失敗しても『次は』と切り替える

最初はね、いっぱい失敗しました。失敗から学ぶことがたくさんありました。落ち込むんですけどね(笑)。

極端に落ち込んだときがあって、大事な会議すっぽかして海と山に行った(笑)鬱になるかと思ったとき、次の日会社に行くと普通に仕事はまわっていて『自分がいなくても何とかなるんだな』と思ったんです。

『まいっか、仕事しよう』と吹っ切れました。根詰めてしまっていたからこそ、失敗も増えていたし。

そこから一気に変わりました。気軽に考えられるようになりました。失敗しても原価で売ったらいい。その代わり『次はより良いものを探そう』と切り替えられるようになりました。

若い頃は、今しかできない遊びをせんといけん

とりあえず友達とワイワイ、楽しいことをしてほしいと思います。若い時にしかできないから。そういうことを今僕らがやったら、バカだと言われるから。

私が10代のとき、30代の方はすごい大人だなと思って見てました。でも歳を取ると『頑張っている大人とそうじゃない大人』がいたんです。全員が全員すごい訳ではないんだなと。大人になってから『大人ってこんなもんなんだ』と思うようになりました。

時間が経つと、考え方がガラッと変わります。時間が過ぎると色んなものが変わっていきます。だからこそ、今しかできないことをやってほしいんです。

目標や目的を考えると、自分のやりたいことが見えてくる

やらされている仕事は苦痛ですよね。私も自分から積極的に仕事をやりだしてから楽になりました。やらされている感満載の時は、精神的に負荷がありました。だからこそ『自分からしよう』と考えるようにしました。それからは楽になりました。休みが無くても苦じゃないんですよ。

『勉強しなさい』という教育は良くないと思います。自分の意思で勉強しないと。『絶対にこの大学に行く』とか、目標があったら良いのかもしれません。

どこかに自分を導くための『目標』が大切です。それと、勉強においても仕事においても『何のためにするのか?』という目的もまた大切。
『目標や目的を考えると、自分のやりたいことが見えてくるでしょ?』

考えたら答えが出るとずっと教えられてきていますから。でもだいたい出ない。そういう時は、何かを変えたほうがいいんです。しんどい時は『時と場所と人』を変えてみる。そしたらだいたい何とかなるんです。状況を好転させるために、自分の中で『変化』を起こすことを大切にしてほしいと思っています。

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